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2015.03.16 Monday | - | - | -
晩年の朔太郎
「海を越えて、人々は向こうに「ある」ことを信じてゐる。
島が、が、新世界が。
しかしながら海は、一つの広茫とした眺めにすぎない。
無限に、つかみどころがなく、単調で飽きっぽい景色を見る。
(「海」)

フランス西洋への憧れ孤独理想を謳った朔太郎はその後、
このような虚無的な倦怠の意識に移っていきます。
理想と現実の生活環境の狭間で悩み、倦怠の意識に落ち込んでいくのです。

「今になって、私が漸く始めて知った一つの事は、
 私の過去に受けたすべての文学的教育が、
 根本的に皆ウソであったといふことである。
 明治以来の日本の文壇が、私に教へた一切のことは、
 すべてに於いて『西洋に追随せよ』といふことだった。
 それは私等の遺伝の中から、
すべての古臭い伝統的な観念を叩き出せと命令した。
(中略)
馬鹿正直にも私は、すべてこれ等の指令を忠実に遵奉した。
そしてしかも遵奉することによって文壇から除外され、
日本の文学から縁の遠い世外人にされてしまった。
現実してゐる日本の文学には、どんなにもそんな舶来種イズムは無かった。
すべては遺伝的な国粋精神で固まってゐた。
今になってから、私は漸くそれを知った。
日本の風土気候に合わないものが、
日本に於いて生育し得ないといふことを。
然らばそもそも、なぜに人々はそれを私に教育したのか?(中略)
ああ、しかし!
だが今になってどうなるのだ。
そもそも此処まで追ひ込まれて、私はどっちへ行けば好いのだ。
私の文学的前途は真黒であり、虚妄の廃趾の外に何物もない。
私の悔恨は遅すぎた!」
(『遅すぎた悔恨』)

そして、彼は新古今和歌集や与謝蕪村を再評価し、
日本の伝統的な「美」に価値を見出していきます。

「僕らは西洋的なる知性を経て、日本的なものの探求に帰ってきた。
その巡歴の日は寒くして悲しかった。
なぜなら西洋的なるインテリジェンスは、
大衆的にも、文壇的にも、この国の風土に根づくことがなかったから。」

「西洋的なる知性は、ついにこの国に於いて敗北せねばならないだらうか。
 遂にその最後の日に僕らはあへてそのニヒルを蹂躙しよう。(中略)
今や再度我々は、西洋からの知性によって、日本の失われた青春を回復し、
古の大唐に代るべき、日本の世界的新文化を建設しようと意思しているのだ
現実は虚無である。今の日本には何物もない。
一切の文化は喪失されてる。
だが僕等の知性人は、かかる虚妄の中に抗争しながら、
未来の建設に向かって這いあがってくる。
僕らは絶対者の意思である。
悩みつつ、嘆きつつ、悲しみつつ、そして尚、
最も絶望的に失望しながらしかも尚前進への意思を捨てないのだ。」

「日本的なものへの回帰!
それは僕ら詩人にとって、
よるべなき魂の悲しい漂泊者の歌を意味するのだ。」

昭和に入り、西洋への憧れを貴重とした大正の浪漫でモダンな時代は、
大震災を境に終わりを告げ、
マルクシズムが、不安の思想が流入してきたのはちょうどこの時期でした。

朔太郎は、そんな時代背景に挫折を感じ、
ニーチェなどを引用しながら自分の没落の宿命を詠ったのです。
2006.10.28 Saturday | 萩原朔太郎のこと | comments(2) | trackbacks(0)
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2015.03.16 Monday | - | - | -
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コメント
今日の文章はおっかない

没落の最中に、意志をもち、耐えしのいでいく

芸術家は、なぜか親近感が沸きます

文才はどんな心情をも素敵に示してくれるのだなあと思いました



| あらい | 2006/11/01 8:04 PM |
海外から来た、イロイロなものが
突然無くなったとき、

昔からある当たり前のものの
良さに気づくのかもしれない
| kiyoko | 2006/11/01 8:18 AM |
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