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2015.03.16 Monday | - | - | -
朔太郎のモノオモイ
毎度おなじみ今回は、「朔太郎の日常」てな感じで
何を考えて過ごしていたのか?
考えてみましょう。


第一話でも述べたように、
学校を厭い」「林を好み」「怠惰な生徒」であった
彼の幼少の頃から感じていた孤独感はその後も彼を覆い続けます。

郷土!今遠くの郷土を望景すれば、万感胸に迫ってくる。
悲しき郷土よ。
人々は私に情(つれ)なくして、
いつも白い眼でにらんでいた。
単に私が無職であり、もしくは変人であるという理由をもって、
あはれな詩人を嘲笑し、私の背後(うしろ)から唾をかけた。
「あすこに白痴(ばか)が歩いていく。」そういって人々が舌を出した。」


そんな現状の、
抑圧され酒におぼれ鬱屈した、
生活からの感情の解放を願い、
そんな想いを詩に託し彼は謳い続けます。

「私の情操の中では、二つの違ったものが衝突して居る。
一つは現実にぶつかって行く烈しい気持で、
一つは現実から逃避しようとする内気な気持だ。」

そして、それは旧来の詩歌観、倫理観、
考え方一般に対して自由を求めた宣戦布告でした。

「すべてこの書の思想を、私は自分の日常生活から発見した。
特に大部分のトピックは、たいてい戸外の漫歩生活
―街路や、森や、電車の中や、百貨店や、珈琲店や、映画館や―
で啓示された。画家が写生帳を持って歩くように、
私もまた、常に手帳を懐中にして、
行く先々の感想を記録して居た。」(『絶望の闘争』自序)

このように、
朔太郎は日々の生活から当時の社会への違和感を直感的に捕らえ、
思索を繰り返し、理想を追い求めて詩作を続けていくのです。

当時日露戦争が始まり、寄稿した雑誌が発売禁止になるなど
言論の自由すら奪われ始めた中でも
彼の思想はあくまで直線的で、表現を手加減しませんでした。

「同志と呼び、親しき友情を感じ得るものは、
今の文壇でただ無産階級の作家であるのみだ。
彼らの仲間だけが、よく私の気質を知り、私の思想を了解して居る。
尤も(もっとも)プロレタリア作家という中には、
社会主義者の一派も居るが、彼らは私にとって例外である。
私が言うのはアナアキストの一派であり、
或いはニヒリストの一派であり、
或いはダダイストのことである。」

『詩はいつも時流の先導に立って、
来るべき世紀の感情をもっとも鋭敏に触知するものである。』

と言い、世の中の潮流に立ち向かっていったのです。
2006.10.27 Friday | 萩原朔太郎のこと | comments(1) | trackbacks(0)
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2015.03.16 Monday | - | - | -
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コメント
今回の朔太郎は、激しさを感じますね

時代に取り残されているのか

それとも時代の先に行き過ぎていたのか

そんな感じで読んでいました

でも、今回の内容は、暫定的な自我から沸いて生み出される

激しい情感を、詩にたたきつけ

また思考し、たたきつけるという、

素敵な日常を垣間見て取れて、共感しました。
| あらい | 2006/10/24 4:43 PM |
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