<< November 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

2015.03.16 Monday | - | - | -
朔太郎と前橋、朔太郎の前橋
毎度お馴染朔太郎コラムでございます。

今回は第三回、朔太郎と前橋の関係を考えてみましょう。


私はいつも都会をもとめる
都会のにぎやかな群衆の中にいることをもとめる
群衆の中をもとめて歩く

郷土!今遠くの郷土を望景すれば、万感胸に迫ってくる。
悲しき郷土よ。
人々は私に情(つれ)なくして、
いつも白い眼でにらんでいた。

都会に憧れ、
西洋趣味な夢見心地で過ごしたボンボンでニート全開な印象のある朔太郎ですが、
実際は40歳を超えるまで前橋で活動し、
地元・群馬の文壇を盛り上げるべく、
様々な活動を主宰し、上毛新聞や様々な文芸誌への寄稿や、
文芸評論を通じて『群馬の文芸復興』を開拓してゆきます。

群馬県で最初の本格的な同人雑誌『侏儒』創刊に当たって
顧問格であった朔太郎は次のような「通信」を寄せています。

「侏儒はたいへん盛んなものに成るらしい。痛快です。
一般に地方文芸雑誌の欠点は真摯と権威をかいて居ることです。
ともすれば道楽雑誌に成りたがることです。
・・・それをふせぐには作物を厳選することと、
社友を物色することが肝心だと思ひます。
あまり不真面目なヂレッタントは排斥する必要があると思ひます。
『侏儒』が『風景』以上の大雑誌として地方雑誌の巨頭とならんことを希望します。」

このような活動を通して朔太郎は、
中央の詩人、歌人達と前橋の詩人たちを結びつけたり、
地元の新聞記者などを巻き込んで「文芸欄」に若い気鋭の作家を登場させるなど後輩の育成に情熱を注ぎました。

萩原恭次郎高橋元吉岡田刀水士伊藤信吉
などは直接・間接的に朔太郎と交わり、
影響し合いその後の群馬の詩風土を培った詩人たちです。

その後、
創刊された月刊誌「狐ノ巣」では、
県内各地に支社を作り、地域ごとに小集を行い、
東京支社や台湾支社を設置するなど群馬県内の文学地図を塗り替え、
この時期の群馬の文芸活動は朔太郎を中心に、
驚くべき速さで活気に満ちた黄金時代を築いていくことになります。
2006.10.24 Tuesday | 萩原朔太郎のこと | comments(2) | trackbacks(0)
スポンサーサイト
2015.03.16 Monday | - | - | -
<< 朔太郎の交友関係 | main | 朔太郎の愛した音楽 >>
コメント
萩原朔太郎のイメージは、

のんびり詩を書いていた、お坊ちゃまの

イメージですが、

県内各地で精力的に活動していたなんて、新発見です。

また楽しみにしています。
| kiyoko | 2006/10/20 3:46 PM |
だいぶ読むのが楽しみになってきました

かんこどーの高橋ゲンキチもこの中に入っていたのは

ビツクリです。
| あらい | 2006/10/20 10:20 AM |
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://beng-teng.jugem.jp/trackback/35
トラックバック